まだ6月が終わっていないのが信じられないなー。
今月は怒涛の月でした。
まずは6月の前半から末期癌だった義父の容態が急変し、
亡くなりました。
下記のYoutube生と死について作ったのは去年でしたが、ビデオが水曜日にいつも自動的にリリースされるように設定されていて、この日にヒットして亡くなりました。
でのなんかベストを尽くした感じがあったのでよかったです。
義父は自立について学んでいる人、つまりはオリジナルが甘えるタイプの人だったのでラストのラストで介護もなく自立的に彼のやるべきことをやってくれてありがたかったです。
トルコはこんな情勢なのにも関わらず?
死人に非常に優しく、
イスラム教のお坊さんが来てくれて、穴をほって埋めてくれるボランティアの村の人がうわっと来てくれてかなり円滑に全て無料で死者を弔います。
最近私も自然に近い生活をしていますから、
シンプルにこうやって土に帰るんだな。
というなんかしがらみを感じないイメージが自分の中にも出来上がっている感じです。
ディルの花です。
種を取るため花を咲かせて楽しんでいます。
6月18日はまやちゃんの小学校の卒業式になりました。
私達は最後の6ヶ月ぐらいは子供マスク問題に苦しみ。
というか、わかってはいたといえばいたんですが、社会が本当に次元が違うというか、
言葉や思いが自分たちとものすごく違う場所にあって、自分はすごく普通にいっていると思うんだけど、話が通じないというか。そういうものを感じ本当に辛かったです。
しかもまやちゃんの学校は BOMMスクールと言われる最新の学校だったので、
こんな場所でも話が通じないんだー。とショックを受けていました。
シュタイナー学院トルコはマスクをこの期間付けなかったそうで、うわーさすが!
!と思ってみたり、、。
私達の行動はおそらく日本だったらもっと出来ない、近所の人や周りの友人たちのしがらみや常識がたくさん絡まり合った中で、こういう振り切った行動はしずらいだろうなー。
だから私は日本に住めなかったのかなー。と思ったり、、。
まやちゃんの卒業に当たってめちゃくちゃ悩んでいる最中のYoutube苦しみの様子が伺えます。
6月21日は夏至。
人間界と自然界のハーモニーを感じさせられる夏至であり、
またそうでないものは崩壊させられるようなことを感じる日でした。
そして6月最終週はイズミルの街中のボルノアから、いよいよ私達の森の家ベイラーキョユに引っ越しです。
私の人生引っ越しは沢山していますから、まあまあいい感じです。
私は、最近手が器用なんじゃないか。
と思い始めて、いつも上手な人ばかり見ていたので自分の手が器用と思ったことは少なかったんですが、引っ越しの空き時間にマクラメバックとかハンモックとか色々編み始めました。
ら意外とうまくないですか。(自画自賛)ハンモックも今編んでます。
日本生活では考えずらいことでしたが
灼熱という意味を思い知っています。
トルコイズミルでは 5月から 11月まで海に入ることができ海水浴をかなり楽しめますが、
その代わり雨が少なく、全ての植物の水分を抜き取り、この熱で山火事が毎年起こります。
私は、今この灼熱と乾燥した大地と向かい合っているところで、
実際はオークの木の森で人間がオークを抜き取り全てをオリーブの畑に切り替えてしまったり、
こういうあざみとか棘があるような植物が沢山生えてきて、大地の刺々しい心を表現しているかのようです。
自分たちに何ができるのか、、、。
を感じているところです。
では、ここまでお読みいただきありがとうございます。